生命の発生や細胞の分化、複雑な精神活動に代表される高次生命現象は、遺伝子発現の微調節によって生じる。また、これら調節機構の破綻が、様々な疾患の原因になることが知られている。したがって、遺伝子発現の調節機構を解明することは、生命活動や生命現象を理解する上で最も重要な課題の一つであり、医療や創薬などの応用研究へもつながることが期待される。
RNAは転写後に様々な修飾を受けることが知られており、もはやゲノム配列から知りうる情報だけでRNAの機能は語れない状況にある。多様なRNA修飾はRNAが新たな機能を獲得するための戦略と捉えることができる。また、RNA修飾は修飾酵素の発現量や基質となるメタボライトの濃度で制御され、時空間的に変化することから、最近ではエピトランスクリプトームと呼ばれている。さらにRNA修飾の異常は、ヒトの疾患の原因になることが知られ、RNA修飾病という概念が定着しつつある。当研究室では、分子生物学、生化学、分子遺伝学、分析化学、細胞生物学的なアプローチにより、様々な生命現象に関与するRNAの機能を明らかにすることを目標としている。

RNA修飾の多彩な機能と生理学的意義

RNAは転写後に様々な修飾を受けて成熟し、はじめてその本来の機能を発揮することができる。これまでに130種類を超えるRNA修飾が、様々な生物種から見つかっている。RNA修飾はmRNA, tRNA, rRNAをはじめ、様々なnon-coding RNAにも普遍的に存在し、RNAが機能する上でこれらの修飾は見過ごすことのできない重要な質的情報である。RNA修飾の担う役割としては、細胞内局在の決定、立体構造の安定化、RNA結合タンパク質との相互作用、遺伝情報の修飾と解読などが知られているが、その機能と生合成過程には未解明な部分が多く残されている。当研究室では、細胞内に存在する微量なRNAを単離精製する技術や、微量RNAの高感度質量分析法(RNA-MS)を駆使することで、新しいRNA修飾の発見とその機能解析を通じ、RNA修飾が関与する生命現象を探究している。またこれまでに、当研究室では40種類を超える新規RNA修飾遺伝子を同定しており、RNA修飾の生合成過程や生理学的意義に関する研究を行っている。

遺伝暗号の解読とタンパク質合成

DNAの遺伝情報は、mRNAに転写され、リボソーム上でタンパク質へと翻訳される。一般に翻訳精度は10-4~10-5であることが知られ、生物は様々なしくみを駆使することで高い翻訳精度を保っている。mRNA上のコドンはリボソームのAサイトでtRNAのアンチコドンによって解読され、対応するアミノ酸へと変換されるが、アンチコドンには多種多様なRNA修飾が存在し、コドン認識を厳密に制御している。当研究室では、遺伝暗号の解読に関わる新しいtRNA修飾を発見し、生化学と遺伝学的なアプローチにより、その機能的役割と生理的な意義を探究している。また、タンパク質合成の初期段階では、ペプチジルtRNAがリボソームから脱落する現象(pep-tRNA drop off)が知られており、当研究室ではこの現象が、タンパク合成の品質管理に寄与していることを明らかにしている。遺伝学と生化学を組み合わせることにより、細胞内における新しい翻訳精度維持機構についての研究を行っている。

エピトランスクリプトームと高次生命現象

真核生物のmRNAやnon-coding RNAには、5'末端のキャップ構造が知られてきたが、近年の次世代シーケンスを用いたトランスクリプトームの網羅的な解析によって、イノシン(I)、5メチルシチジン(m5C)、N6メチルアデノシン(m6A)、1メチルアデノシン(m1A)、シュードウリジン(Ψ)など、様々な修飾が見つかり、エピトランスクリプトームという新しい概念が提唱されつつある。当研究室は、ケミカルバイオロジー的なアプローチにより、I修飾やm6A修飾を検出する新しい手法を考案し、次世代シーケンス解析と組み合わせることにより、エピトランスクリプトーム情報の探索を行っている。I修飾に関しては、ヒト脳のmRNAとnon-coding RNA中に、3万か所以上の新規イノシン化部位を特定し、現在、これらのI修飾が遺伝子発現においてどのような役割を持つかについて解析を行っている。

RNA修飾病の発症メカニズム

ヒトの病気の発症メカニズムを分子レベルで解明することは、将来的な治療法の開発につながる重要な基礎研究である。私たちは、ミトコンドリアの機能異常に起因する重篤な遺伝病であるミトコンドリア脳筋症が、tRNAの修飾欠損によって生じることを明らかにしている。疾患の主な原因はタンパク質の異常であるが、この研究は、RNA修飾の欠損が疾患の原因になることをつきとめた世界で初めての例であり、RNA修飾病(RNA modopathy)という概念を提唱した。当研究室では、RNA修飾の欠損や異常がどのような分子メカニズムにより、疾患の原因になるかを、臨床検体、患者細胞、ノックアウトマウスなどを用いることで多角的な研究を行っている。

往復循環クロマトグラフィーとRNAマススペクトロメトリー

RNAに含まれる複雑な修飾や末端構造を解析するために、私たちは独自のアイデアに基づき、RNAを単離し、直接解析するというRNAを「もの」として捉える方法論を確立した。RNAの単離精製は、決して一般的な手法ではなく、大量の試料を必要とし、また複雑な行程とノウハウを要求する手間のかかる作業であったが、私たちは、多種類のRNAをより簡便にかつ高効率で精製するための方法として、往復循環クロマトグラフィー法を考案し、この手法を搭載した全自動RNA精製装置の開発に成功した。この技術を用いることで、従来は不可能とされていた非常に存在量の少ないマイクロRNAやmRNAの単離精製にも成功している。
さらに、精製した微量なRNAを解析するため、質量分析法を高感度化するための技術開発を行い、最終的に数十アトモル程度のRNA分子を解析できる革新的な基盤技術であるRNAマススペクトロメトリー(RNA-MS)を確立した。実際、MS測定をするためにRNA試料の前処理方法、キャピラリLCナノスプレーイオン化法の最適化、得られた多価イオンデータをデコンボリューションし分子量とイオン強度を算出するアルゴリズム、MS/MSによって得られたプロダクトイオンを読み取り配列解析するソフトウェアなど、RNAのMS解析に必要なすべての要素技術を開発し、RNAを分子として解析するためのプラットフォームを実用レベルまで引き上げた研究環境を整えている。

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